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南砺を掘る―最新の発掘調査から―

情報発信元:南砺市埋蔵文化財センター 0763-82-5050 
最終更新日時 2007年9月3日 21時47分 ID 3-4-226-3329
日時 2007年4月22日(日曜日)から2007年6月24日(日曜日)
会場 [井波地域]

土の中から未来が見えて来る


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昨年の南砺市域で発掘された成果を最新資料で紹介します。才川七的場遺跡・桃源寺跡(福光町史編纂に関る医王山山麓の発掘調査)、神成遺跡・梅原胡摩堂遺跡・宗守遺跡・久戸遺跡(県営ほ場整備北山田北部地区)、院林遺跡(県道砺波福光線道路改良工事)、福光区域の分布調査、高清水山地城郭調査、高瀬神社西遺跡採集新資料など。

才川七的場遺跡では石器製作に伴う旧石器のチップ剥片や縄文時代の打製石斧が発掘され、昭和46年以降に表採されたナイフ形石器・掻器・縦長剥片などの包蔵地の状況確認がされました。桃源寺跡は中世桃野一族の本寺として知られ、平坦面1からは石段らしき配石遺構が、平坦面3では整地土から15世紀後半の珠洲すり鉢、中世土師器皿、古瀬戸天目茶碗、信楽壺、青磁碗、古瀬戸桶、旧石器ナイフ形石器、剥片などがみつかりました。
神成遺跡では直径12mの円形周溝(弥生時代終末)と共に多くの赤彩土器が見つかり、隣の地区では4世紀の古墳と見られる直径10m余りの帆立貝式古墳?の周溝が見つかりました。梅原胡摩堂遺跡では古代〜中世の竪穴住居や掘立柱建物、溝や畑の跡などがみつかりました。古代の竪穴住居には南東隅に竈が設けられていたものが多く残っていました。また久戸遺跡では縄文土器と古代の須恵器・土師器、中世の陶磁器などがみつかり、12〜13世紀の建物や溝がみつかりました。関連事業による継続調査から中世の山田郷や一向一揆の時代背景を探る調査となっています。中世山田郷の村の集落跡と考えられています。
院林遺跡では大きな溝で区画された古代・中世の集落跡がみつかり、古代寺院の寺家廃寺や中世石黒庄を構成する院林郷の推定地を発掘しました。
高瀬神社西遺跡からは昭和44年のほ場整備で採取された土器の寄贈資料から墨書土器やヘラ書き須恵器硯などもみつかりました。
高清水城郭調査では中世以来伝承される赤尾から瑞泉寺までの交通路である道宗道沿いに杉山砦跡で郭・帯郭・堀切の遺構が、県内で最も高い標高(1110.5m)に発見されました。


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