たびたび訪れたい懐かしい場所「南砺」
香り高い歴史や文化、豊富な伝統の技、美しい日本の原風景で、訪れる人々を温かくお迎えします。
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南砺市って?
富山県の南西部に位置し、北部は砺波市と小矢部市、東部は富山市、西部は石川県金沢市と白山市、南部は1,000メートルから1,800メートル級の山岳を経て岐阜県飛騨市や白川村と隣接しています。
面積は668.64平方キロメートル(東西約26キロメートル、南北約39キロメートル)で、そのうち約8割が白山国立公園等を含む森林であるほか、岐阜県境に連なる山々に源を発して庄川や小矢部川の急流河川が北流するなど、豊かな自然に恵まれています。また、市北部の平野部では、水田地帯の中に美しい「散居村」の風景が広がり、独特の集落景観を形成しています。
気候は、典型的な日本海側気候で、冬は寒く、降水・降雪量が多い地域です。中でも、城端、平、上平、利賀、福光の各地域は、特別豪雪地帯に指定されており、山間部では最大積雪深が3メートルを超えることもあります。また、平野部では春先の強風や台風、冬の雪、夏の暑い日差しを遮るため、散居村特有の「カイニョ」と呼ばれる屋敷林で家屋を守っています。 -
南砺市の歴史
この地域の歴史は古く、立野ヶ原台地から約3~2万年前の旧石器時代を中心とする遺跡がたくさん発掘されています。大量の石器が出土しているほか、縄文時代の竪穴住居跡なども確認されています。奈良・平安時代には、小矢部川流域の平野部で荘園が発達し、高瀬遺跡では荘園の役所跡と思われる堀立柱の建物群がみつかっています。
中世に、瑞泉寺が建立され、善徳寺が加賀から移ると、旧井波町や旧城端町は門前町として栄えました。また、近世に入ると旧福野町や旧福光町は市場町として発展していきました。
平野部では、加賀藩の支配下で新田開発が進められ、また、五箇山地方では、日本の他の地域には見られない「合掌造り家屋」の集落が成立・発展するなど、独自の風土に根ざした、固有の文化を育んできました。
そして、近代から現代にかけて、その時々の社会経済情勢の大きな流れに的確に対応しつつ、生活環境の充実や社会資本の整備等、地域特性を活かしたまちづくり、村づくりに取り組んできました。
旧平村、旧上平村、旧利賀村、旧井口村は、明治の町村制施行により村域が形成されており、旧城端町、旧井波町、旧福野町、旧福光町は、さらに昭和の大合併を経て町域が形成されたという歴史的経緯があり、近年は道路網の整備や広域行政の推進により、一層、地域間の結びつきが強くなってきたことから、平成の大合併に至りました。 -
土徳の精神
「土徳」とは、民藝運動の創始者であり宗教学者でもある柳宗悦が、南砺市に訪れた際に創った造語で、何十世代にもわたって積み重ねられた信仰の心、ありがたいと感謝しあうお互い様の心が風土になり、目に見えない力となったもの、とされています。
南砺市にお越しの際は、土徳に育まれた南砺のおもてなしを、是非ご体感ください。
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